この古墳は、福山から182号線を北上し、福山市加茂町の加茂ヶ丘団地入口を右に折れる。
加茂ヶ丘団地入口付近から東を見ると、小山の頂上に、
わずかに石鎚山古墳の頂きが見える。
古墳をめがけて山を登って行くと、2基の古墳が見えてくる。
右が1号古墳(北側)、左(南側)が2号古墳
石鎚山古墳の説明。
これは、1号古墳。
墳丘は、一番下と中間に石垣がある。
しかし、この石垣について、上部の説明には触れられてないように思う。
この古墳ができた当時はどうだったのか?
一号古墳の全景。
一号古墳は、埋葬施設として、2基の竪穴式石室があった。
右(東側)のレンガの囲った範囲は、第2主体部。
左(西側)のレンガの囲った範囲は、第1主体部。
第一主体部には、墳丘西側の裾に向け、割石を敷き詰めた排水溝があった。
その墳丘西側の裾まで排水溝は延びていた。
その排水講を墳丘西側から見上げたところ。
一号古墳の墳丘越しに加茂平野を眺める。
手前のレンガの囲いは第2主体部。
この竪穴は、蓋石が無く、側壁の石を内側に少しずつ傾けて積み上げられており、上部を塞いでいたとの事。
珍しい造りであったようだ。
一号古墳の北側墳丘下には、このような石が。
この石は何に使用されていたのか?
加茂平野を眺める。
一号古墳からの眺めの中に正福寺が見える。
正福寺裏山にも正福寺裏山1号古墳とか古墳があった。
一号古墳上から見た2号古墳。
2号古墳の全景。
2号古墳の埋葬施設。
右(南側)のレンガの囲った範囲は、第2主体部。
左(北側)のレンガの囲った範囲は、第1主体部。
第2主体部は、木棺の外側を粘土で囲う粘土槨があった。
第1主体部は、直接、木棺が納められていた。
石鎚山古墳から加茂平野、更にその先に続く備後平野を眺める。